瀬良英介の一般業界向け

飼料・畜産トピックス

2005年4月 (109)

(109)アイオワ州立大学での授賞式・晩餐会に出席して

私の母校であるアイオワ州エームス市にあるアイオワ州立大学酪農学部クラブは、一年に一人、酪農産業分野で貢献した名誉卒業生( Distinguished Graduate of Iowa State University / Dairy Science Club )を選びます。この大学としては非常に歴史のある大変に名誉な賞ですが、今年の3月6日に行われた授賞式・晩餐会に、日本人としては初めて私が選ばれましたので、家内共々、授賞式に出席し1ヶ月半ほどの個人的な渡米・渡欧の長旅を終えて4月半ばに無事に帰国しました。授賞式・晩餐会、そして後輩への講演・講話に娘とフィアンセもそれぞれシカゴとミネアポリスから出席してくれたので、白血病で寛解を維持し人生の節目にあたる古稀を迎えた家内共々出席できたことは、私ども二人にとって生涯の良い想い出になりました。


授賞そのものは私的なことですが、授賞対象になった部分には、私が米国農務省海外開発局の外郭団体であるアメリカ大豆協会に酪農・畜産飼料専門家として在籍していた当時の約30年間の諸活動も入っています。ですから、このASAホームページのコーナーで簡単にご照会したいと思います。


この授賞晩餐会(アワード・バンケット)は、大学のユニオン(日本では、東京の学士会館)に似ている会場で行われたのですが、約200名のアイオワ州立大学卒の酪農家とその家族、学生や大学院生、酪農学部の教授連が出席しました。地味な酪農分野の集いですから、決して華美な授賞晩餐会ではありませんが、実に思いやり深く心のこもった暖かな雰囲気の晩餐会でした。


過去に、この賞を授賞した方々の多くは、アイオワ州立大学卒の錚錚たる学者が多く、私のように大学卒のみというのは稀です。過去に授賞した学者の中には、恩師であり、私に「本質を捉えた牛乳の定義」(酪農学園大学ジャーナル、2000-7号発表)を教えてくださった(A.R. Porter)故ポーター教授や、まだ活躍中、或いは、故人も含め、Dr. Norman Jacobson, Dr. Henry Tyrell, Dr. Bill Wunder, Dr. Jack Van Horn, Dr. Kent Nelsonなど他にも多く居られます。


出席しておられた年老いた学者の中には、まさかと思われるような他の学部からの高名な方々も居られました。その昔、私が学生時代に教授の子牛の試験研究で子牛のペンの掃除や試験飼料の給与などの下働きでお手伝いしたことがあるノーマン・ジェイコブソン名誉教授は、子牛の栄養生理分野では当時世界的に高名だった方ですが、日本的に言えばバンケットでは末席に座っておられました。晩餐会の後で、わざわざ私と家内が座っていたヘッド・テーブルにお越しになり、「カール、真に嬉しい。大学としても本当に誇と名誉に思っているよ。」と云われたときは思わず失涙しそうになりました。現、主任教授のリー・キルマー先生( Dr. Lee Kilmer )も実に温厚な方で、バンケットや後日の後輩への講和の集いのときも私達二人の世話を細かくしてくださいました。バンケットの次の日の酪農学部での集いはキルマー先生、学生やスタッフの提案で皆で何種類ものピザ、ミルク、チョコレート・ミルク、学生が地区のコンクールに出品して賞を取った乳製品をふんだんに使って焼いたケーキなどの軽食を歓談をはさんで済まし、約50分に渡る講話と2時間半に及ぶ質疑応答で過ぎました。乳牛の栄養や獣医学部に進む大学院生や学生、学部外の教授などが集い、人数が多かったことから急遽、予定のセミナー室を大きい部屋に変更していました。


晩餐会では、私を紹介する役目を学部に申し出てくれていたのが旧知の中であるネルソン・コンサルタンツ社代表で、元アイオワ州立大学の準教授をしていた、ケント・ネルソン博士( Dr. Kent Nelson )でした。彼は、日本の酪農飼料業界でも大変に高名です。ネルソン氏は、わざわざこの日のために避暑地のメキシコから飛んできてくれ、私の過去の日本と米国での仕事の内容について、ジョークを交えながら、相当に細かく記述した大学側のパンフレットにある内容よりも更に詳細にゆっくりと時間をかけてパーソナルな面も暖かく紹介してくれました。


授賞対象になった内容は、簡単に言えば次のようなものでしょう。(1)今日では当然のこととして受け入れられていることですが、その昔、日本で「完全配合飼料」と呼んでいた飼料製造時代に、一部の業界筋の猛反対と批判や反対陳情を受ける中で行った諸活動。つまり、自家配合も含め生産者が給与する飼料の種類や内容の自由な選択肢を与えることで競争力をつけてもらうために、現場で種々の飼養条件下に対応できる蛋白質サプリメントやビタミン・ミネラル・プレミックス商品開発の必要性を飼料業界や現場に対して提唱し普及活動を行ったこと。(2)当時、母校の準教授をしていた友人のネルソン博士を招聘し、日本の酪農業界に対し、搾乳牛に良質な粗飼料、配合飼料を含む濃厚飼料など物性的にも栄養的にもバランスの取れた良質な飼料を充分に与える必要性とコンセプトを提唱したことが1970年代後半にはネルソン・瀬良旋風となり、結果として、一部の業界や学識者からは、「近代酪農の幕開けを起こしたコンビ」と評されたこと。(3)NHK教育テレビの招聘により、一年に一週間続けて行う飼料講座番組に10年間登場し、米国などで一般的に使われているとうもろこし・大豆ミール(粕)を中心にした酪農、養豚、養鶏飼料などの基本的な考え方や飼料設計などを紹介したこと。(4)数多くの米国の酪農(子牛、育成牛、乳牛の栄養と飼料)専門家を日本に招聘し、セミナーや現場で通訳・解説を行い、技術普及のフォローを行い、また、数多くの酪農・飼料・畜産視察研修チームを編成・派遣し、専門通訳と解説者として同行したこと。(5)協会引退後も酪農・飼料分野の専門誌に公平な視点から技術啓蒙記事や情況解説を載せ、講演も行ってきていること。特に、デーリィマン誌に3年間毎号掲載した「酪農家とその家族への手紙」、及び、国内企業が乳業問題を起こした起こした直前に酪農学園大学ジャーナル(2000-7, 2000-10)に発表した「本質をとらえた牛乳の定義」と問題発生後に発表した「良心に恥じない行動と決断の必要性・酪農界への助言」など数多くのコラムのこと。(6)米国、韓国、台湾、ハンガリー、シンガポールなどで数多くの酪農・飼料関係の講演やテレビ・ラジオ出演などを行ったことなどでしょう。


余談ですが、アイオワ州立大学は歴史のある大学ですが、アイオワ州エームス市に大学が創設されたのは19世紀も中ほどの1858年(安政5年)ですから、日本では江戸時代後期で、明治天皇(1867年・慶応3年 / 1868年・明治元年)の前の孝明(こうめい)天皇時代です。


丁度、アイオワ州立大学が創設された年の1858年(安政5年6月)に、日本は五つの諸外国の中で米国と最初に日米修好通商条約調印(US - Japan Treaty of Friendship and Commerce)を締結しています。その後、同じ年の7月に日蘭(日本・オランダ)、日露(日本・ロシア)、日英(日本・英国)の三国と調印を交わし、9月に五カ国目として日仏(日本・フランス)と条約を結んでいます。


一般的には日米友好の関係は150年と云われています。これは1853年(嘉永6年)にペリー提督が浦賀に来航したことや、1854年(安政元年)に日米和親条約を締結したこと、また、1856年(安政3年)に米国総領事のハリス氏が下田に駐在したことなどから計算しています。この頃のことは、日本の舞台演劇で上演される「唐人お吉」で有名ですし、アイオワ州立大学が創設された年から10年前後が、日本国内では明治維新に移行する前の激動の時代で、桜田門の変、開港論が広まる中での攘夷論者の失脚、長州征伐、長崎の大浦天主堂の創建などがあり、また、1868年(明治元年)に福沢諭吉が塾を慶応義塾と改称、三権分立や官史公選が定められ、五箇条の誓文ができ、江戸が東京と改められました。東京大学や学習院が創立されたのは、明治維新から10年後の1877年(明治10年)でした。日本が開国の激動を迎えていたころ、米国で起きていた歴史的な動きは、日本でも知られているような事がらが多く、リンカーンが大統領に当選したのが1860年(万延元年)、南北戦争勃発が1861年〜1865年(文久元年〜慶応元年)、リンカーンが行った有名なゲティスバーグ演説が1863年(文久3年)、リンカーン大統領が暗殺されたのが1865年(慶応元年)などです。


本トピックスでは、私が母校のアイオワ州立大学・酪農学部クラブから授与された授賞の模様や背景などを簡単に報告しましたが、日本と米国のつながりの深さのごく一端も理解して頂けることになればと嬉しい限りです(瀬良、2005)。