アメリカ大豆協会

畑のミラクル


大豆は奇跡の穀物と言われます。 タンパク質と油の主要原料である大豆は、晩春に植えられます。 夏に花を咲かせると、ひとつの苗に60〜80個のさやがなります。 さやの中にはエンドウ豆大の3つの大豆が入っており、秋の初め頃、このタンパク質と油分豊富な大豆が収穫されます。大豆1ブッシェル(60ポンド)から、約48ポンドのタンパク質に富んだ大豆粕と11ポンドの大豆油が生産されます。


米国は、世界最大の大豆生産国です。 2004年、記録的な31億700万ブッシェル(8470万トン)もの大豆を収穫しました。米国産大豆の収穫の半分以上は、丸大豆、大豆粕、大豆油として輸出されています。
1804年

大豆の歴史は5,000年以上前の中国にさかのぼります。 米国には、1804年、帆船が中国をでる際に安価なバラスト(底荷)として大豆を積み込み運ばれてきました。

1829年

1829年、米国の農家で初めて大豆が栽培されました。最初に栽培されたのは、醤油用の品種でした。南北戦争時代、本物のコーヒーが手に入らない兵士たちは、コーヒーの代わりに大豆を「コーヒー豆」として利用しました。1800年代後半には、多くの農家が家畜飼料用に大豆の栽培を始めました。

1904年

1904年、アラバマ州タスキーギのタスキーギ学院で、ジョージ・ワシントン・カーバーが大豆の研究に着手しました。彼の発見は、大豆に対する人々の考え方を変えるものとなりました。大豆は単なる飼料穀物ではなく、貴重なタンパク質と油の供給源とみなされるようになったのです。

1929年

1929年には、米国の大豆生産量は900万ブッシェルに達し、同年、大豆のパイオニアであるウィリアム・J・「ビル」モースが、中国へ大旅行に出発し、数年の間で、1万種類以上の大豆を収集しました。その一部は、米国が大豆生産における世界のリーダーとして急速に成長する基礎となりました。

1940年

第二次世界大戦前、米国は食用油脂・油の40パーセントを輸入していました。大戦の到来により、この油脂類の供給が停止したため、加工業者らは大豆油に着目しました。

 

1940年までに、米国の大豆生産量は7,800万ブッシェル、作付け面積は500万エーカーに達し、大豆と大豆製品の純輸出国となりました。この年、ヘンリー・フォードが大豆プラスチックで作られた自動車のトランクに斧を振り下ろすことによって、その強靭さを伝えたエピソードは有名です。この宣伝によって大豆の評価が一段と高まりました。

1950年

1950年代の初めには、低コスト・高タンパクの飼料原料として大豆粕が登場し、米国の家畜や家禽の生産量が急増しました。

1956年

米国の大豆輸出市場も拡大され、1956年、アメリカ大豆協会(ASA)は、海外初の事務所を日本に設立しました。

現在

今日では米国の30以上の州で大豆が栽培されており、大豆は、穀物の即日決済取引では国内第2位、穀物輸出額では第1位となっています。ASAは現在世界の100カ国以上で米国産大豆と大豆製品市場拡大の様々な活動を行っています。


 
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